【1/26】
私が子供の頃に描いていたグローバルは、明らかに違った形でグローバルが在ります。
「英語は話せるようになったほうがいいぞ」
「パソコンはできるようになったほうがいいぞ」
そんな風に父は言っていた。
しかし現在、英語の長けた人・パソコン技術が高い人がグローバルだろうか。
グローバルの意味は「世界的規模である様」のようです。
実は先週、そのことを改めて感じる機会がありました。
先日、Facebookでもアップしましたが、
ベトナムのリンさんというインターシップが4日間、私たち一緒に仕事をしました。
https://www.facebook.com/DOESiNTERNATiONAL
リンさんとは一緒に動画をつくる仕事をしたのですが、
その仕事を終えたリンさんが言ってくれた言葉の中で
「動画制作を通じて、言語や文化の違いを受け入れ、その違いを理解し、楽しむということが、
とても大切だと改めて実感しました。」と、言ってくれました。
さらっと流すと流せてしまいますが、
この言葉に込められた意味に対して、私はとても奥深さを感じました。
昨今、多様性、違いを受け入れるべき…という話はとても多いですが、
そこで言われている、”受け入れる”というのは、多くの場合、
“否定しない” ”ただ無関心”ということに近い気がしています。
リンさんの言葉から「グローバルとは、違いを受け入れるだけではなく、
違いを受け入れた上で、その違いにどう作用するか?という問いの先に在るんだ」と
私は思います。
私たちは海外進出サポートというビジネスの中で、
ローカライズという言葉をよく使います。
ローカライズは現地最適化。
もう少し言葉を変えれば、「郷に入れば郷に従え」
という言葉にも置き換えられる意味があると考えています。
違いを知ること。
その違いを否定するのではなく、受け入れること。
そして肯定できる自分に成ること、柔軟に合わせて動いていくこと。
私はそれがグローバルだと思います。
英語は、パソコンは部分的にそれを助けますが、
肝心なのは世界的規模に捉え、動くことだと感じます。
リンさんとの出会いは、
また私たちに力を、知恵を与えてくれました。
リンさん、ありがとうございました!